今なぜ郷中教育、什教育が必要か!

今何故、郷中教育、什教育が必要か!

◆薩摩の郷中教育と会津の什の掟/今こそ子供に必要な教え!◆
郷什合成写真

幕末から日露戦争にかけ、厳しい世界情勢の中で、日本の独立と生存、 工業化にぶれない矜持を発揮した多くの人材が日本各地、特に薩摩、会津、長州、土佐藩等から多く誕生しています。

この時代の偉人に共通する要素は幼少時代の教育であると信じています。 特に薩摩の郷中教育と会津の什(辺)教育は藩校に入校する前の子供たちの自己啓発、集団啓発の教育システムであり、 現在の社会環境を考えると今こそ復活させるべき教育システムではないでしょうか!

小学生がクラスの同級生を学校で殺害する、子どもが親や祖父母を殺害する、親が子供を殺害する。 何とも信じられないことが起こる現代、子どもは家で一人で遊ぶ、コンピューターゲームに一人で耽り、 バーチャルな世界に一人で浸る。

そこでは社会性も協調性も必要ない、自分だけのバーチャルな世界であり、子供を取り巻く社会環境は確実に変化しています。

子供は自然の中で、グループで遊びを作り、その遊びで遊び、そして更に面白い遊びに進化させる。

この遊びの中で集団のルールや人間関係、人の痛みを理解し健全な人間性を育み、 遊びを進化させるなかで論理的な創造性の資質を涵養できるものではないでしょうか!

躾についても、昔は親や地域が子供を躾たが、最近の親や地域はどうなっているのかという事例は後を絶ちません。 しかし、昔の親が躾に熱心だったかと言うと、必ずしもそうではなかっただろうと思います。

昔の家は子沢山で、大家族を養うために寸暇を惜しんで働かねばならず、 よって兄姉が弟妹を育て、地域が行儀作法を教育する素晴らしい教育システムが日本には存在していたのではないでしょうか!

この日本の教育システムの中で薩摩の郷中教育と会津の什教育は、同様の形態をとっており、特筆に値するものです。 薩摩の郷中教育は現在のボーイスカウトの原型となったとも言われています。

薩摩藩内には「郷中」と言う数十戸で構成された自治組織があって、 この組織内における異年齢の子供同士の間でのシステムでありました。

薩摩の郷中教育では、6歳から10歳までを小稚児(こちご)と呼び、11歳から15歳の長稚児(おせちご)が生活全般を教え、 更にこの長稚児を指導するのは、15歳以上の二才(にせ)と呼ばれる青年たちでした。

6歳から10歳までの小稚児(こちご)と呼ばれる子供(現在の幼稚園年長者~小学4年生程度)が、早朝に一人で自分が教えを受けたい11歳から15歳の長稚児(おせちご)と呼ばれる年長者(小学5年生~中学3年生程度)の家に行って、儒学や書道などの教えを受ける。

・・・そして子供だけで集まり、車座になって朝学んだことを一人づつ発表し、議論する。 ・・決まった場所はなく、子どもが輪番で地区の家にお願いして集合場所を決めていたそうです。

これを「詮議(せんぎ)」と呼んでいました。

現代の子供に詮議をカスタマイズするとしたら、「なぜ人を大事にしなければならないか」「なぜ弱いものいじめしたらいけないか」「同じクラスでいじめを見たらどうすべきか」「いじめられたらどうすべきか」「なぜ勉強しなければならないか」「なぜ体を鍛えなければならないか」等々の議題を子供だけで議論するイメージです。

この詮議教育で重要なことは、子供同士でチェックし合うデベート重視の学習であり、起こり得るけど簡単には答えが出ないような状況をいろいろ“想定”し、 その解決策を皆で考え合う訓練であり、起こり得るリアルな設問を次々と挙げ、 各自が自分だったらどうするかを述べ、皆で議論する。いわゆる「ケーススタディ」でもあり、際限のない「イメージ訓練」でありました。

「詮議教育」は、戦国時代くらいまでは日本中で行なわれていたようです。 江戸時代になるまでは、公家や荘官や守護大名のようなごく一部のエリート以外は字を読めなかったので、 一般的に武士は、戦(いくさ)の成功・失敗事例を文字でなく耳で学び、 皆で議論し、実践的スキルを向上させる学習会を行なっていたと言われています。

このように、郷中教育の特徴は、ある傑出した教育者が行ったのではなく、凡人が凡人を錬成して非凡な人材を育てた子供だけの子弟教育であり、極めて高度な感性教育でありアクティブラーニング方式であったといえます。

脳科学研究の進展と相俟って誕生したコンピューターの深層学習(ディープラーニング)による人工知能(AI)の進化が進む現代、従来の正解主義の思考法から脱却し、自由な発想による想像力の確立は、今まで経験したことのない新たな分野に挑戦するパワーの源泉にもなると思う。

また、郷中教育では「義とは何か」といったテーマで詮議を行い、そうした日常生活の規範を、 それぞれが内面化していく道徳教育も行われていました

道徳教育に関しては「日新公(じっしんこう)いろは歌」(日新公は島津の殿様)があり、 大人になるまでに毎日毎日欠かさず唱え、自分の道徳観念として定着させたそうです。

ちなみに最初の「い」は「いにしえの道を聞きても唱えても わが行ないにせずばかいなし」であり、 「どんな昔の教えを聞いても自分で実践しなければなんの意味もない」という意味であり、まさに実践的な教えです。

日新公いろは歌は、現代でも活用できる素晴らしいものですのでここに紹介します。→ ここをクリック

薩摩の郷中教育は君主に忠義、親に孝行、下の者に慈悲いう理念のもとで、 基本的には年長者すなわち上位の者に責任を持たせるのが目的の教育であったと言えます。

そして、現代の子供たちに欠けているのは山坂達者です。

山坂達者とは、年長のニ才たちが稚児を引き連れて、山野を駆け巡り鍛錬するもので、 厳しい山坂でも弱音を吐かないチャレンジ精神旺盛な逞しい子供を創り上げる遊びの訓練でありました。 この 遊びの中では、小鳥の捕獲の方法や野ウサギやイノシシ等の獣を獲るための罠の作り方や 薬草・毒草の見分け方などを年長者が実地に教えます。

また、鹿児島には子供達の遊びの中に今でも引き継がれているスローガンがあります。

それは”泣コカイ、飛ボカイ、泣ッヨカヒッ飛べ”であり、畑の段差や小川を移動するための掟でもあり、 泣いて許しを請い飛ばないか、泣くよりは失敗してもいいから飛んでしまえ、という教えであり この”ヒッ飛べ”の精神も、教室でのいじめを黙認する現在の子供達に必要ではないでしょうか!

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