新潟超会議の親業確立セミナー 〜未来の子供たちへ繋ぐ! 親の責任と役割を考える〜 にパネリストとして参加します。
5月14日(土)新潟大学で開催される新潟超会議の親業確立セミナー 〜未来の子供たちへ繋ぐ! 親の責任と役割を考える〜 のパネリストとして参加します。
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小生、海自現役時代は艦艇乗り組みが主で、3人の娘は艦が入港して休みがある時に遊んであげる程度で、教育は全て女房任せ、入学式も卒業式も運動会も行った覚えがない身で発言することにやや後ろめたさを感じます。
パネリストは2人でお相手はフリーアナウンサー、親業インストラクターの女性です。
恐らく親業インストラクターは子供との能動的な会話のコミュニケーション手法について話されると思うので、 小生は昔の厳しくて暖かい家庭、地域、学校教育の良さ、薩摩の郷中教育、会津の辺(什)教育の素晴らしさをベースに、現在の過保護すぎる親の問題を指摘しようと思っています。
今の子供は昔の子供に比較して表情が乏しくなったような気がします。 体格やファッションセンスは良くなったが覇気や喜怒哀楽の表情が乏しくなったような気がします。
青鼻を垂らして泥んこの服を着て寒空を走り回り、道で出くわしたら「あっかんべー」をして逃げる子供の方が私は好きです。
今の子供は電車に乗ると直ぐに座りたがり、座ると一人でゲームを始めます。
昔の子供は電車の中では座ることなど考えず、どこにもつかまらず立っている競争や外の景色のビルや電柱の数を数える競争をしていたものです。
学校から帰るとカバンを放り投げ、夕方薄暗くなるまで地域の子供たちと海や野山を駆け回り、遊びも自分たちで考えた。ポケットには肥後の守のナイフを常に入れていた。
肥後の守のナイフがあれば、竹とんぼ、弓矢、メジロを飼う鳥かご、ヒヨドリを獲る罠、チャンバラ遊びの刀、何でも子供だけで作り遊ぶことができた。
子供だけの自由な遊びの中で集団のルールや我慢する力とやり遂げたことの自信、遊びを進化させる創造力も身に着いた気がする。
私の幼少時代は薩摩の郷中教育の名残りが残っていた。 中でも今こそ必要なのは「詮議」です。詮議は子供たちだけのグループ討議、ケーススタディです。
〜こうなったらどうすべきか?を子供たちだけで考え、〜こうならなかったらどうするか・・という代案も考える遊びです。
文科省が「ゆとり教育」から脱却し、「アクティブラーニング」方式を採用すると報道されていますが、この考えの究極はまさに薩摩の郷中教育と会津の什教育そのものの気がします。